| 宮田ボクシングジムは、菅谷信一にとって、青春の学び舎。思い入れは相当に深い。
同ジムのホームページの管理人を自ら買って出る。制作プロデュースは、もちろん彼が担当した。
「下町の葛飾にあって、JRの駅からも離れてる小さなジムなんです。でも、ホームページをうまく利用してもらって、経営に活かしてもらってる。企画に対して、会長たちからの提案が多いことも活性化に繋がってますね」
魅力あるコンテンツをぶつけ、人となりを感じられる情報を、きちんと公開しているから、共鳴し、ジムの門戸を叩く人間が後を絶たない。女性が多く通ってくれるのも「ボクシングは恐くて野蛮なモノ」の感覚を、WEB上でクリアにした賜物。イメージの垣根を透明なガラス張りにするコトで、女性が安心して通える状況を作った。
「自分たちの泥まみれな姿を、恥ずかしがらずに堂々と正確に表現すれば、大きな反響が返ってくることを証明した典型例でしたね。これぞ、全ての中小企業に学んでほしい指針なんですよ」
WEBのスキルを利用した協力体制だけにとどまらない。興業に向けてのポスターやパンフなどの制作物も編集するし、所属選手のほとんどの試合には水戸から駆けつける。
現東洋太平洋、日本チャンプ、内藤選手の世界初挑戦では、仕事を調整してタイまで出陣した。2度目の世界挑戦の舞台は日本だったが、チャンピオン陣営を成田まで迎えに行くなど奔走したのは、菅谷信一である。
なぜ、そこまで労力を注ぐのかを、訊いてみたくなった。
「宮田会長にお世話になった恩義に報いたい気持ちもあるし、ボクシングそのものが好きだって部分も強いです。でもね、やっぱり、ロマンを感じるものに対して、追いかけ続けていきたいんですよね。宮田ボクシングジムから、世界チャンピオンを生み出すことは、今のボクにとって、その最高峰」
思い、願ったコトは実現に向けて行動する。ビジネスもパーソナルも全て「有言実行」が、菅谷流のスタンダード。その「肝」はきっと、これからも変わらない。
インタビュアー:飯田 寿(有限会社コンテンツ・ラボラトリー)
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